☆会社で毎月行われる朝礼でのお話の内容を掲載させていただいています。
ホンネとタテマエ 結論から言うと 私は別々のものではないと考えています
私がそう考えるキッカケを作ってくれたのは 星槎(せいさ)学園という学校の生徒さんです
星槎学園は通信制の高校で 様々な理由で全日制の高校に行けなかったり 退学してしまったりした生徒さんが通える高校です
10年以上前 御縁があって 卒業を控えた仙台校の生徒さんたちに 社会人になったらすることになる「仕事」についての短いスピーチをすることとなりました
どんな話をしたかは忘れてしまいましたが おそらく平凡な仕事論的なことを話したと思います
生徒さんから頂いた謎すぎる質問
一通り話が終わっての質問タイム メガネを掛けた小柄な男子生徒が手を挙げました
「はい 質問どうぞ」と声を掛けると すっと立ち上がり
「タテマエとキレイゴトは ちがいますか?」
なんと私のしたお話とは全然関係ない なにか人生の真理を知る禅僧のような 鋭い質問というか お題を投げかけられてしまいました
私が絞り出した答え
ちょっと困りましたが せっかく投げてもらった直球ど真ん中です こちらも渾身の力を込めてバットを振ることにしました
「たぶん違うと思います」
「人類は『社会で生きること』を選択した生物です
人間が複数集まってできる社会では ホンネだけ言っていても物事が進みません お互いのホンネが一致することは滅多にないからです
だから無人島で一人暮らしではなく『社会』で物事を進めていこうと思ったら みんなが納得しやすいタテマエが必要となります」
「キレイゴトは物事を進めるためではなく むしろやらずに済ますためのものじゃないかと思います だってみんなが感心するかっこいいことだけを言って実際には何もやらないわけですからね」
「それにタテマエときれいごとは似ていますが タテマエはきれいじゃない時もあります
たとえ君のお母さんが『あんたなんか産まなければよかった!』ときれいじゃない事を言ったとしても それは口げんかで君に謝って欲しい時のタテマエですよね ホンネでは君のことを愛しているわけですよね
・タテマエはきれいじゃないけど物事を進めるために必要なもの
・きれい事はその名の通りきれいだけど物事を進めるためには役に立たないもの
だと思います」
そう話すと彼は小さくうなずいてくれ 私もほっと胸をなでおろしました
(この話は2016年11月にも記事にしています https://www.mikado-denso.com/archives/3015)
答えから生まれた 私にとっての「ホンネとタテマエ」とは?
彼の質問のおかげで 私はそれ以来
物事を進めるためのタテマエの根っこには かならずホンネの部分がないといけないな
と 思うようになりました
「タテマエや大義名分はホンネのきれいなところでできている そうじゃないのはただのキレイゴト」
それが本日現在の私の考えです
だから世の中で流通している「SDGs」や「従業員満足」などのすばらしいタテマエに対して
「社会の役に立ちたい」「そのことで自分も満足を得たい」というホンネで取り組みたい
そう思っているわけです
じゃないと彼に話した通り ただのキレイゴトになってしまいますからね
